下巻
愚詠長歌百首 佐田 日出留
慶応元年丑六月より九月まての詠百首 (1865年)
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春 光 日 々 新 53p
冬隠春去りくれは 朝には桜花さき 夕には桃の花さく 桜には朝日にほひ
桃には夕日てりつゝ 鶯のきのふの初音 容鳥のけふの初声 けふけふと鳴
くこそまされ うらくはし春の此日
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万 物 感 陽 和
冬隠春去りくれは 咲かさりし花も咲きつゝ 鳴かさりし鳥もきなきぬ 春
花の己か色々に わかめもいをゝりにをゝり 春鳥の己か声々に 初音なき
(生ひ茂り)
名のりに名告り 朝月夜朝日は匂ひ 夕月夜夕日はかすむ 人皆の心もしぬ
にうちなひき誠可愛し春の後にまかなし
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立 春 梅 54p
我宿の庭の梅か枝 かたつ枝は 未たふゝめり かたつ枝ははや咲(キ)たりと
(つほむ)
降(リ)つもる雪ふみならし 朝戸出に出立みれは 南の上枝の小枝 まさやか
に匂へる朝日 けふはしもいくかとよめる 昨日こそ冬はくれけれ けさこ
そは春のたちけれ 梅花かく咲けらすは 冬隠春立ことを 打なひく春来る
ことを雪のうちに いかてかしらまし 我宿は梅か枝よりそ 春は来にける
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霞 中 鶯
冬籠(リ)春立田山 もとへには桜花さき 末辺にはつゝし花さく 桜花鮮には
見えす つゝし花つゝめる霞 春霞 かすみはくれに来なく鶯
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門 柳
吾門の五本柳 春されはもえにもえつゝ 春雨にしめぬにしをれ 春風にた 55p
わわになひき 来る人を糸もてつなき 行人を糸もてとゝめ 吾妹子は立居
りしもころ 未通め等かたゝりしころ 立る青柳
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霞 隔 遠 樹
遠方の衣榛原 うちわたす妹か松原 春霞いや立かくし 八重霞いやたちへ
たて 我みるや衣榛原 我見るや妹か松原 まち見てもさやには見えぬ 春
の霞に
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嶋 霞
我妹子に淡路の島の奥辺にて釣する小舟 浜辺にて藻塩やく白水郎あま
をとめやくや煙の うちかすみ かすみに霞 あまをふね さやには見えす
あはち島山 56p
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花 初 開
韓衣立田の山はうちなひく 春ゆくと 朝には桜花咲 夕には鶯来鳴 其花
の香をかくはしみ 其鳥の声なつかしみ 立田山我立見れは 春霞かすみか
くれに 白栲に咲き出つる桜 めつらしく来鳴く鶯 鶯の声はつ/\に 桜
花さき出る花を みるかさやけさ
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花 満 山
み吉野の吉野の山に たなひくや雲と見るまて ふりしくや 雪と見るまて
咲(ケ)る花はも 鶯の声さへかすみ 容鳥の声さへにほひ 咲(ケ)る花はも
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落 花 浮 水
瀧の上の三舟の山の 本辺には桜花咲き末辺にはつゝし花さき つゝし花雨 57p
にうつろひ 桜花風にみたれて よしの川 川のまに/\ ちりほひゆくか
も桜花と杜鵑花と
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帰 雁
さひつるや常世の国は 荒潮のかをれる国を 重波のたち塞ふ海を 育く
むや我子たつさへ 伴なれや妻呼ひかはし 荒潮の八百会 八百日行(キ)百日渡
りて 行雁はも 行春の名こりもしらに 来む秋のあはれもしらに ゆく雁はも
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春 野 遊
水茎の岡辺の菫 かきろひの野のへのつはな 未通女等かけふそつむちふ
うなゐこか今日そぬくちふ 抜きにこそ今はゆかめと つみにこそ今は行か 58p
めと 未通女等か伴いさなへて うなゐ児か友たつさへて 春野に我きて
見れは 遠方のつゝしかもとに 佐野津鳥雉子はよはひ 此かたの岡の司
ゆ 飛かけり雲雀はあかる ひはりなす心の空に 雉子なす友よひかはし
菫つみ つはなぬきつゝ 終日に遊ひあるけは 菅のねの長き春日も いつ
しかと暮ゆきにけれ 春霞かすむ山辺の 夕日夜 月夜にきそひ かへりく
我等者
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暮 春 月
桜花ちりゆき山に つゝし花うつろふ岡に 桜花さやには照らす つゝし花
あかくはてらす 照月はも 鶯の声もほのかに 容鳥の声もかすかに てれ
(髣髴)
る月はも 59p
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三 月 尽
春暮る山辺の桜 春いぬる岡辺のつゝし 春雨に匂ひこそ散れ 春風に照り
こそうつろへ 桜花ちるををしみと つゝし花うつろふ飽にと 鶯はまな
く時なく 容鳥はまなくしはなく 鶯の声なつかしき 容鳥の声おむかしき
あたらしき見かほし春の 暮るらく をしも
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首 夏 山
うちなひく夏きその山 鶯の老ぬる声を 雀公鳥鳴(ク)初音を ちりみたる 花
にましへて 生ひしける梢にかけて 夏山か今朝の朝明に きくかさやけさ
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余 花
雀公鳥なく岡の辺に 呼ふ鳥よふ山かけに 白栲にのこれる桜 赤根刺(ス)うつ 60p
ろふつゝし 在つゝも我見はやさむ 置(キ)つゝも我見忍はむ 山おろしの風
なふきそね ゆふたちの雨なふりそね あかなくに暮にし春の かたみと
思へは
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葵
我宿の園生の中に 五月雨に しぬゝにぬれて 夏草にたわになひき 未通
女等に葵花さく我妹子に 葵花さく五月雨の雨間もおかす 夏草のなひき
しをれて 葵花咲(ク)
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雨 中 新 樹
うちなひく夏の茂山 雀公鳥立こそくゝれ 呼ふ鳥よひこそめくれ 藤浪を
ちらす日雨に 卯の花をくたす霖雨に雀公鳥は根もしぬゝに 呼子鳥つ 61p
はさもたわに打なひき 蔭こそしけれ 夏の茂山
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尋 子 規
足引の山雀公鳥 初声を間に我はゆく つゝし花ちりにし岡をはろ/\と越(へ)
て我はゆく 桜花花見し山を くれ/\と越て我はゆく 夏山の奥の茂山
うちなひき心もしぬに越て我はゆく
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子 規 稀
島津鳥宇佐の川上 川上ゆ流れ来る花の つゝし花桜花 桜花さかゆる妻か
つゝし花匂へる妹か 玉鉾の使も稀に 鳴(ク)雀公鳥
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夕 子 規
足引の山雀公鳥 月立チて 只三日月の 眉根画ほのかに鳴てゆきし声はも 夕 62p
くれのたそかれときに 木のくれのおほつかなくも鳴きしこえはも
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五 月 雨 久
大君の三笠県に 早苗とり 苗とりおきて うちわたす千代五百代 千代か
き五百代うゑて 味清水御井の里人 田草とり草とるまてに 五月雨そふる
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水 鶏 何 方
見わたせる前の千代田 うちわたす後十代田 我住むや田伏にをれは 朝
(田仕事をするための小屋)
風に前田そよき 夕風に後田さやく 朝風に鳴(キ)し水鶏を 夕風に呼ひし水鶏
を いつかたに鳴やしにきと 何方に呼やしにきと 前田に我立きけと 後
田に我出きけと さや/\とさやく稲葉の風の音のほのかにたにも なかす
水鶏は 63p
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瞿 麦 花
我宿の園生の中に 朝露になひきしをれ 夕立に濡ちうらふれ 打しなひ
咲(ケ)るなてしこ 未通女等か朝戸ひらくと 我妹子か夕戸たつると 金戸出に
たゝりしもころ 咲(ケ)る撫子
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池 蓮
水渟轟の池に 白露の玉をたゝへ 白栲の花さき匂ひ 生ひ出る蓮 白玉の
貝かほし妹に 白楮の面しる妻に 玉なからつゝみてやらん 花なから手折
りてやらむ あたら蓮葉
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市 夕 立
市人のうるや白栲 里人のかふや照栲 あたひもて未たかはねは かはりも 64p
ていまたかへぬに 白栲の雲ゐたなひき 照栲のてるひもくれに 夕立そふ
る 市人の心もしぬに 里人の心もたしに ゆふ立ちそふる
( しぬ 偲ふ)
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河 辺 納 涼
木綿の山いや二並ひ 鶴見山いや二並 二並の山のはさまに 年をへて
これる氷も 六月の土さへさけて 照れる日のあつき此日 打とけて流れく
る川の 津房川深見川 筏おろし我こきくれは 小舟うけ我こきゆけは 深
見川ふかみさやけみ 津房川つはら/\にすゝしきろかも
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夏 祓
天離鄙の鄙人 打日刺宮の宮人 久方の天の益人 ます/\も犯せる罪を
百敷の宮の宮人 みそかにもなしゝ穢を 六月の今日ゆ始めて 神直日なほ 65p
らひませと 大直日まなほならせと 大川原川原にみそぎ 大海の海にみそ
く人 宮人 鄙人
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海 辺 立 秋
我妹子と明石の浦に 海士小舟ともす 漁火 いちしるく秋は立けり 未通
女等と須磨の浜辺に 泉朗少女しほ焼く烟 なほゝしき秋は来にける 朝潮
に雁はかけらひ 夕浪に鴨女はさわき 明石潟吹秋風に須磨の浦たつ朝霧
に淡路島あはと見るまて 小豆島そよとなるまて秋に来にけり
(奥津ともあり)
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萩 露
秋霧のたなびく野辺の 雲ゐゆく雁の萩の花 うれはたわわに おける
白露の 玉にぬき我もてゆかむ萩か花 匂へる妹か玉釧 くしろにつけて手に 66p
(古代の装身具の腕輪。)
まかむため
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虫 音 非 一
雲ゐゆく雁の涙に 白露の奥野の原の 花すゝき尾花か本に 丈夫か手なれ
の駒の くつわ虫ふりこそすさへ 萩か花匂へるかけに 鳥狩する鷹の鈴虫
さや/\と音にこそなけれ 女郎花しをるゝかけに 未通女等か手染の糸を
くりかへし くるやくた虫 ゆら/\と音にこそなけれ 刈萱のみたるゝ上
に 白露を玉にぬきつゝ さゝかにの糸をつらねて 機織の虫こそなけれ
其虫の音をなつかしみ 其虫の声をおむかしみ 秋野の千草の花の 花かす
によそへてきけと 草かすになそへて聞けと 毎聞に飽こそたらね 鳴く毎
にこひこそまされ虫の声に 67p
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薄 暮 雁
露霜の秋の夕くれ 天の原ふりさけ見れは 天飛(ブ)や雁は来にけり 秋霧のた
なひく山を はろ/\と朝飛かけり 秋風のそよめく田井にくれ/\と夕鳴(キ)
とよみ 雁は来にけり 秋霧につはさもしぬに 秋風に羽交もたわに 夕
くれのおほつかなくも雁は来にけり
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秋 月
露霜の 秋さりくれは 朝には白露おき 夕には霧立わたる 立霧の夕かな
しみ おく露の朝ゆゝしみ ぬは玉のよわたる月を真十鏡ふりさけみつゝ
白露のおきてもゐても 秋霧の立てもゐても 久かたの月の 月をそ我見る
心なくさに 68p
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月
久方の月人男 彦星のわたしゝ上を 棚機のあわしゝ空を 青波に雲の舟う
(月の異称)
け 秋風に霧の帆はりて 天(ノ)川夕こき川 天原朝こきわらる月人男
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朝 霧
秋雨のふる山道 朝さらす 人そゆくちふ 夕さらす人そくるちふ 行人の
夕わたらす くる人の朝たなひく 秋霧あはれ 暁の彼は誰時に 朝霧の奥
所もしらす 立霧あはれ
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曉 鹿
春日を春日の山の 高倉の三笠の山に 花すゝき しぬにおしなへ 萩か花
たわにふみわけ 若草の妻よひとめ 佐男鹿鳴(ク)も 朝月夜あけまくをしみ 69p
曉のたときもしらに さをしかなくも
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暮 秋 雨
秋風の立田山 秋霧の立田川は 立出のよろしき山 川並の宜(シ)き川 山川を
たかみさやけみ 九月の時雨ふるなへ くれてゆく秋のかたみと 立田山の
これるもみち 立田川よとめる木葉 山おろす風のまに/\黄葉のちりこそ
つもれ ちりつもる木葉のまにま 立田川水こそまされ秋の時雨に
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秋 山 家
露霜の秋の山里 黄葉の散りのまかひに 秋草の生ひの茂りに 尋ね来る人
しもあらす 分いつる道しもなくを 秋霧の彳みをれは 秋風のうらふれを
れは 佐男鹿の垣根に来鳴き雁かねの 軒端に来なく秋の山里 70p
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九 月 尽
秋山のしつくにぬれ 秋田の露にひつちて 衣手もいまたほさねは 袂さへ
またかはかねに 九月のしくれの雨ふり 秋風の吹しくなへ 黄葉のちりし
くまゝ 新しき秋はくれけり 雁か音の悲しき秋の 月かけの身にしむ秋は
立霧のほのになりつゝ 暮れて行きけり
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初 冬 時 雨
み雪降(ル)冬岐嶒の山 紅葉の風にみたれて さや/\と散りこそつもれ 木(ノ)葉
のあらしにちりて たし/\と降こそつもれ 黄葉なすさやにはふらす 木
葉なすたしにふらす 神無月はれみくもりみ 天雲の間なく 時なく降る
時雨かも 71p
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初 冬 落 葉
暮てゆく秋のかたみと 散り残る峰の黄葉 落ち残る麓の木葉 山風の吹き
こそ散らせ 秋風のふきこそおとせ 黄葉のをしき秋を 木の葉のあたらしき秋
を 秋風にちらしやりつれ 我宿につもれる木葉 吾門にちれる黄葉 朝戸
出にいまたふまねは 夕戸出にいまた分ぬに 久方の空かきくらし 神無月
の時雨の雨の たし/\と降りこそかゝれ さや/\とふりこそまされ あ
たら落葉に
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野 径 霜
み雪落(ル)冬の山道を 朝月夜朝立くれは 虫の枯野の芒 女郎花茅お
しなへ おける初霜 あかときの衣寒気に 朝立の足結ひもしぬにおける 72p
初霜
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深 夜 千 鳥
葦火たく 浦屋にすめは もしほやく苫屋にをれは よる浪に声のうらふれ
ひくしほに 声のさまよひ わたつみのたときもしらに さ夜中と鳴(ク)浜千鳥
冬夜の有明月夜 在(リ)つゝも我をねしなくも 浜つ千鳥よ
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水 鳥
隠国の初瀬の川の 上(ツ)瀬にをし鳥よはひ 下(ツ)瀬に鴨鳥さはく 初瀬川川風寒
み 上(ツ)瀬の波こそさゆれ 下(ツ)瀬の水こそ氷れ 氷なす寒き夕の 川風のさゆ
る此頃 打ちなひく玉藻の床に よりなひく川藻の床に 白栲の雪の衣きて
にきたへの霜の衣きて 敷栲の妻まくらむか 鴦鳥鴨鳥 73p
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馬 上 雪
霰うつあられ松原 住吉の里のかよへは 我乗れる馬の頭に 振名積(リ)天の白
雲 打払ふ袖こそさゆれ 立しのくかけこそ氷れ 我妹子に我住吉の 雲の
曙
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山 初 雪
夜を寒み朝戸あくれは 由布か嶺に雪そふりたる 昨日こそ木葉ちりしか
夕こそ時雨ふりしか 由布の山今朝の初雪 をとめらかおる白栲を 七重か
けてやほさる けさの初雪
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瀧 水
三吉野の芳野の瀧は 常世にも響ける瀧を 唐まてもきこゆる瀧を 三雪降(ル) 74p
冬の比日 氷ゐて音そ絶(ヘ)たる 氷ここりて 水そとまれる 吉野山嶺の白雲
いつとけて 桜流る 春にはならむ
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寒 樹
三雪落(ル)冬の枯山 黄葉ちりにし後は 木葉のおちにしあとは 露霜のおくも
いとはす 山風のふくもきらはす 冬隠春し立ねば 鶯もいまたなかぬに
久方の天の白雪 雪つもり 霞宿りて白栲の花こそ咲(ケ)れ 冬の枯山
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霰
吾宿の庭の村竹 々々にうつや霰の たし/\と音こそさやけ さや/\と
玉こそちれゝ 白玉の五百つ集ひを 手に結ひ玉にぬきつゝ 未通女等か 75p
つとのやらむと 吾妹子か苞にやらむととりはけにつゝ
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雪 朝 眺 望
久方の雪の曙 棚ひきし雲とみるまて 引かけし布と見るまで 白栲にふれ
る白雪 をとめらかさらす調布 さら/\に雲とは見へす けさの曙
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衾
未通等かさらす白栲 我妹子かそむる照栲 々々のきぬ入れふすま 白栲
の綿いれふすま 笹か葉のさや/\霜夜を 山風のさゆる雨夜を 栲ふすま
いやさや敷きて むしふすまいや着重ねて 冬(ノ)夜の寒き比日 ねろこそ
吉きも
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田 家 歳 暮 (又惜歳暮とも)
足引の山田の遅稲 倉につみ未貢かねは 川沿ひのきし田の早稲を 頴に 76p
(稲の穂先)
すり未贄せぬに 我宿の梅の秀つ枝に 白雪のつもり/\て 璞のことし
はくれぬ 山畑に殖(エ)そ青菜を 小鍬もちかたましものを 岡畑をいやすき
かへし 麦たにも蒔(キ)しものを 年はくれけり
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除 夜
璞のくれゆく年の 終りとそ雪はふりたる 玉極年のふる人の しるしとて我
は老(イ)たる 老につゝ今宵はありとも 春霞たゝむ朝は 鶯の吾若変り 梅か
枝につもる雪をも 花とこそ見め
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初 恋
住吉の岸の姫松 うら若き妹が手枕 さしかへて我しいねては かきむたき
我しさ寝ては 初花のいや見かましく若草の いやなつかしみ 赤根指昼は 77p
しみらに ぬは玉の夜はすからに うちなひく妹か笑まひし 面影に見ゆ
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返 書 恋
足引きの山にこもらふ 佐袁鹿を八つとりもち 其毛等を筆につくり 小垣
内の殻をはきほし 其皮を紙にすきつゝ 住吉のひめ松 下枝よち我
きりをろし 焼塩のこれる烟の 薄墨に我かきつらね 濃墨に我書(キ)ちらし
雁かねの使ひにもたせ かなしきや妹許やりて 恋しきや妻許やりて
返事いまたあらねは うれたくもいまた思はぬに 山川に渡せる橋の 丸木
橋ふみかへされつ あたら其書
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急 別 恋
なひくもの愛妻を あからひく まかなし妹を 速川の七端渡りて 足引きの 78p
山八越て うちわたす岡の松原 行人のしけき木かけに 玉鉾の道の行きあ
ひに たまさかにあひてことゝひ はしけくもいまたいはねは かたみさへ
いまたかへぬに 白菅の小笠うちきて 客人のすけなく妹に わかれきにけり
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忍 恋
筑波山葉山茂山 生ひ茂り恋の繁けは 影茂り人目茂けは うもれ水 した
にそ通ふ 葉山茂山
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遭 不 逢 恋
爰にして背向に見ゆる 我妹子か門の槻木 未通女等か宿の橘々の本に我立
(ケヤキの古名)
下枝とりあかすや妹と ひきよちて結ひしものを 槻木のいやつき/\に 79p
在通ひ通ひしものを 千早振神やそふらむ 空蝉の人か避けゝむ をとめら
に逢事かたく我妹子にあはぬひまねく 璞の月そへにける かくのみや恋つ
ゝあらむ かくのみや息つきをらむ 玉ノ緒のつきても逢はむと 月影のさや
けき夕 槻木のかけのまに/\ 橘の本にかよへは 小柴垣かきのくつれゆ
ふみわけし 道はあせつゝ 虫のねの繁き野らとも 成りにけるかも
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契 二 世 恋
神霊産高霊産の 霊しくも結ひ玉ひて 大名持少彦名の 尊くも幸ひ玉ひて
玉緖の結ひし伊妹と 紐か緒の解し真妻と かくさまに結ひこめては 天雲
の向伏極メ 谷潜の狭渡極 手携ひ別れし妹と かくさまに結びこめては 足
引の山はくえても渡ツ海の海はあせてもうなかけり 離れし妹とかくさまに結 80p
ひこめては 空蝉の此世離りて いなしこめ夜見にゆくとも 月弓の神の
まに/\ またなきや呉公いふとも いふせきや蜂たかるとも 我袖にいも
はつゝまむ 手本もち我をは隠せと かくさまにむすひしひもを とく人
あらめや
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疑 恋
住吉の岸の姫松 下枝とり結ぶしものを 上枝よちしめて しものを 浦浪
に水なれそなれて 浦風にしをれ/\て 結松とけやしにきと 姫小松をれ
やしにきと 我心ゆたにたゆたに 大舟の津守の浦に 立浪の立てもゐても
(ゆらゆらとただよい動いて)
もの思ふわれは
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悔 恋 81p
照栲のうつくし妻か なよ竹のとをよろ妹か 富士の嶺の思ひこかれて 武
(撓。とをを。たわむさま。)
蔵野に刈干かやの 束の間も見すてはあらし 常陸なるなさかの海の なさ
けそといひてしものを 人心浅香の浦に よる波のかへる/\そ 今はくや
しき
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恨 恋
秋山の下日壮士か 黄葉の丹つらふ君か 天川流(レ)つきめや 棚機の逢ふせ
はてめや 月影に我はかよはむ 秋風に妹はまたせと したはへていにし霄よ
り 朝露のおきてもゐても 夕霧の立てもゐても 雁かねの心にかけて 月
影のさやけき夕の 秋風の身にしむ夕の 虫の音の悲しき宿の 真木の戸を
我あけまてと 松の戸に我立まてと 秋風のそよともこねは 月影のほのか 82p
にも見えす 君かすかたは
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無 他 心 恋
我妹子と二人しをれは 山たかみ里には月は 出すともよしといひつゝ 手
携ひ共にしをれは うなかけりたくひてをれば 庭に生るいさゝむら竹 い
(うなじにてをかけ) (細小群竹)
さゝけきへたてもあらす 物思ひもなし
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恋 変
君かため手玉もゆらに 未通女子か織たる衣を 春されは 花にそめつゝ
秋くれは萩にすりつゝ 染衣かたよくぬいて 摺衣袖よくぬいて 春山もい
また分ねは 秋野もいまたゆかぬに たもとよりかたより色そうつろひにける
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並 面 恋 83p
霄にあひて朝面なみ うつゆふのこもれる妹を 葦蟹のなはれる妻を 玉か
(如くなる)
たまあはねはくるしみ 真十鏡見ねはこひしみ にほ鳥のたくひてをれは
潮船の並ひてをれは 曉にかなしも
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寄 鳰 恋
紀の国の白良の浜に 真白玉白由の浜に白浪に つはさぬらして 白玉に羽
かひ匂ひて あさりする鴨妻 白浪の匂へる妹を 白玉のめつらし妹を 我
ためとあさり出ぬかも 我ためとかつき出ぬかも 妹を我妹を
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寄 鏡 恋
夕去れは床辺にゐて 明来れは匣にのせて 朝寝髪かきみ梳りみ みたれ
髪ときみかゝけみ 吾妹子か片身の鏡 まそ鏡 心に見て 見ぬときはなし 84p
(真澄鏡・十寸鏡)
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羈 中 嵐
大君の三笠の山の 尾上には黄葉ちりつゝ 麓には木葉落(チ)つゝ もみちはを
散らす疾風に 木の葉をおとす嵐に 我妹子かかたみの小笠 菅小笠すけ
なくおちぬ あたら山風
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曉 雲
秋(ノ)夜の月になそへて 我をまつと立しゝ妹を 夕くれの雁によそへて 我を
みると待しゝ妹を 有明の傾くまでに 雁かねのいやなくまてに 秋(ノ)夜の長
き夜いねつゝ 虫の音のしけき露原 衣手のわかれしくれは 吾妹子かいと
こやの上に しのゝめの残れる雲は 東雲の棚引雲は 明時の妹かなけ
きの霧があらぬか 85p
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流 水 浸 雲 根
高良山峰の白雲 国の秀をひろみ はるけみわたつみの海に たなひく
思ひ川水上とほみ 流れては 雲ゐにそゝく 雲ゐなすたなひく川は久方の
(遠見)
天に通へる 心ちこそすれ
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山 家 烟
つゆしも秋の山畑 芥よせ焚くや烟の 朝東風に山に たなひき 夕
嵐に岡にたゝよひ 立霧のおくかもしらす 白雲のたときもしらず 山里の
秋をふかめて 立煙かも
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山
久方の天の戸開き 芦原の水穂の国に 天降ましゝらしめしける 天皇の神 86p
の命の壁立(ツ)や御垣となりて そきたつや御蔭となりて 霊しくも立てる山か
(退き立つ 遠く離れて立つ)
も尊くも茂る山かも 春されは花咲きをゝり 秋くれは黄葉にほひ 天地日
月と共にうこきなき我大君の たとへともなれる山かも ためしともなれる
山かも 神代なからに
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海 路
夕されは床にこいふし 明(ケ)くれは匣に向ひ 未通女等か笑める眉ひき 眉
引のなひける島は 荒潮の かをれる島を しき波の立しく海を 恐き
(か寄れる) (頻浪)
や 真楫しゝぬき ゆゝしきや梶引しをりて こくふねはも 大海のたとき
繁貫き)
もしらに わたつみのおくかもしらに こく舟はも
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故 郷 87p
小山田の稲かりわひて 山畠の麦まきかねて 山里の秋をわすれて 打日刺
都に住めと 百敷のみさとには居れと 小山田の秋田かりかね 雁かねの
けさ鳴く声に 故郷の昔思ひて 秋風に立来てみれは 朝露にぬれ来てみ
れは 我打し畠は荒つゝ 虫の音のしけき野となり 我住し家はくつれて
笹かにの蛛の巣かくちふ 浅茅原つはら/\に 悲しきろかも
(しみじみと)
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幽 茜
現身の人言しけみ 打日刺都をおきて 天離夷にかくろひ うつゆふの狭き
田をつくり まそゆふの小畑をうち 谷間に月日おくれは 山合に齢の
(真麻木綿)
ふれは 橋に壺にこもりにし 仙人の心ちこそすれ 仙人に逸遊ならひて
仙人にいつあやかりて 仙人の世をは避けん 仙人は世はうれたけむ 仙人 88p
われは
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水 駅
鈴か音の駅馬うまやの 包井の清水を汲みて 乾飯も未た
くはねは 菅小笠いまたけなへを 東人の荷先の駒のさきかけてとこましとゝ
たちとならすも
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古 戦 場
千早人 宇治のわたりの わたり出にたてる梓弓真弓 梓弓末ふりおこし
白真弓ゆはらふりたて 物のふの此氏川に にほ鳥の潜きいきつき 水鳥
(弓腹)
のさわきゝほひて 幾人か征矢放ちけむ 幾人か命すてけん 物のふの氏と
名に負へる ますらをの伴 89p
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廃 寺
神のます杜きりつくし 神木とり 仏つくりて 墓つける岡ほりくやし 真
土とりこをぬりかため 天照日にはあてす 敷降(ル)雨にはかけす 五百匠工
千匠工つとへ 婆羅門のつくれる寺を 法師等かませつゝ仏を 神のこと人
も拝ます 墓のこと人もいつかねは 棟より桁よりくち 屋根より担よ
(拝かみ)
り落て 尊かる仏像も天照や日々にくすほり 敷降や雨にそほ濡れ 餓鬼の
(燻り) (頻き降る)
こと痩せて立れは 草村の額突虫そあやにぬかつく
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良 将
大王の御楯と成りて 大王のみかきとなりて いそしくも仕る臣は まつろ
はぬ国を治むと 千早振人を和はすと 千万の軍率ひ 天(ツ)神仰き乞のみ
90p
地神伏てぬかつき 天地の神の御稜威を 畏きや背に負ひて 大王の恩頼を
ゆゝしきや真太刀に佩て 敵守つくしを守り 鳥か鳴く東を治め あ
あたなへる国をまつろへ まつろはぬ人を言むけ はき清め払ひ平け 手拱て
(あたなう 敵対する)
事なきみ世を 平らけく治めまつりて 安国と仕へまつるそ いそしき大臣
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忠 臣
天雲の棚ひく国の 青雲の下なる国の 勇士といはるゝ人は 大王の神のみ
かとに 外部に立侍らひ 内部に仕へ奉り 海行は水漬屍 陸行草生屍 大
王の辺にしなめ 額には矢はたつとも いきたなく後は見せしと かへりみ
る事はあらしと 悲しきや妻にかたらひ 尊きや親に申して 大王の御門の
守り 朝守り 夕の守りと いそしくも仕る臣を 天雲の棚引く国の 青雲 91p
の下なる国の 物のふの臣とこそいはめ 物のへの 伴とこそいはめ 御門
守人
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美 人
靡藻の愛妻か 春山の花と見るまて 秋山の紅葉と見るまてに 咲き匂ひゑみ
て立(テ)れは 千早振神さへめてつ 足引の山さへよりつ はしきよし妻かすか
たに はしきよし妹かゑまひに唐のからこにしきか 雲となり雨となりても
(唐錦)
国忘れ家忘れても にほ鳥のつはさ並へて 宿る木の枝さしかへて たつさ
はり在しもことわり うなかけり住しもことわり 古の浦島の児か 住吉の
岸あそひて 家わすれ 身もたなしらす 常世辺にありしことはり より
なひく妹かゑまひに うちなひく妹かすかたに めてゝ見 めてゝ 92p
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孝 子
父の実の命と 母そはの母の命と 明くれはをろかみまつり 夕されは
(乳の実の 枕) (柞葉の 枕)
ゐやまひまつり 朝夕に仕まつれは 尊きや父幸はひて 悲しきや母はくゝ
(うやまい) (育み)
みて 足引の山にゆくとも 刈株に足ふましむな わたつみの海にいつとも
かきからに足ふましむなと ねもころに語らひいませ み山路も 直に
はゆかす 真砂路も早くは歩りかす あはひ玉海にひろひき 山ついも山に
(薯蕷 やまのいも)
ほり出て 山海のみあへつくり たかつきに机にもりて父の実の父にまつら
(御饗)
せ 母のそはの母にまつらせ 父母かめつゝみまなこ 月に日にけに
(愛づ)
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柿 本 人 麻 呂 朝 臣
掛巻も綾にかしこく いはまくもゆゝしきかも 柿本大人命は敷島の日本 93p
(懸けまくも)
国の 言霊の神にしいませは 言葉の親にしあれは 赤玉の霊しき言葉を
くし玉のくすしき調を つぬさはふ石見の海の おさまけて幸ひ玉へと 大
(つのさはふ 枕)
舟のわたりの山の いや高にさつけ玉へと 獅子しものいはひをろかみ う
なしものうなねつきぬき 乞のみ奉る
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紀 貫 之 ぬ し
朝もよし紀の川上ゆ 流れくる花の桜花つゝし花 桜花さかゆる御世の
(麻裳よし 枕)
つゝし花香し君か しぬはすや言葉たすけて うたはすや歌幸ひて 言
葉のあやしき君なれ 言霊のくしき大人なれ 朝もよし木の川上の 末遠く
流れ/\て 後(ノ)世のくめともつきす 後(ノ)人のめともあかす 朝もよし紀の川
上のとほき流れは 94p
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贈 山 邑 長 野 宗 義 許
馬城の山いやに並ひ 雲井山いや二並ひ 二並の山のはさまゆ 打越て今日
(牧)
かも来ると 直越て明日かも来むと 日並て我待(チ)わひぬ 馬城の山 なひき
たりこそ 雲ゐ山よそりたりこそ 山邑の岡の松原 はしきよし我まつ君か
家のあたり見ゆ
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訪 立 石 田 原 親 友
足引の山雀公 山たかみ 野辺をかけらひ 野をひろみ 谷立ちくゝり 物
の部の立石川を あちわたり こちとひこえて 山口の山の松の木 我きぬ
(布ともあり) (城山の峰の松の木ともあり)
と名のるは 君が家のあたりかも
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同 時 訪 楠 原 舜 吾 95p
物のふの立石山の 峰のへにて 伐るや斧の音 ふもとにて焼くや炭竃
やくすみの 思ひこかれて 斧の音の 我おとつれぬ あはせ吾背乎
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松 山 藤
多児の浦の岸根の松に這ひまとひ 咲(ケ)る藤浪打(チ)よする 波と見るまて 立(チ)の
ほる雲と見るまて 春風になひくを見れは春雨に とをよる見れは常磐なる
撓みをる)
松はさら/\いろなかりけり
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昔 を 思 ひ や り て (以下補遺)
年の三年は経ぬれとも 園生のうちのかわらねは 昔恋しき心地して 蝉
の鳴く音もなつかしく 袖ふきはらふ風そすゝしき
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