頼春風。名は惟彊 。字を千齢。通称松三郎。頼享翁の次男。
春水・春風・杏坪三兄弟のひとり。広島竹原に生まれる。14歳のとき、兄春水に従って
大坂に出て、医術を古林見宜に学ぶ。医業の傍ら儒を業とする。寛政五年(1793)に
竹原書院を設立して自ら講師となり、竹原の学問の向上に尽くた。
その妻は田中儀助の娘順子。
久太郎(頼山陽)脱藩廃嫡の際は、頼春水の懇願により長男元鼎(權二郎)を春水の養子
とした(文化元年1804年)が相続者を欠き長女唯子に医師花山文台、尚平を迎えて養嗣子
とした。 著書に春風館詩鈔・東遊詩巻 ・芳山小記・引翼編 )。
宝暦三年~文政八年(1753~1825)
頼春風 福山誠之館
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