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頼杏坪 手紙と草稿

   
   頼杏坪(らいきょうへい) 宝暦六年~天保五年(1756~1834)

   江戸後期の漢詩人。名は
惟柔(ただなご)。通称萬四郎。字は千祺、季立。

   号ははじめ春草堂、のち杏坪。頼山陽の叔父。頼享翁の末子として竹原に生れる。

   兄頼春水と共に大阪の片山北海の門に学んだ。春水に後れること四年藝藩儒となり

   藩学の興隆に力を尽くした。古詩に長じた。また財政的識見あり、のち郡令に転じ

   政績を挙げた。その妻は加藤静古の娘恭子(後ち
玲瓏子(ゆらこ)と改名)。

   著書に為吾民帖・稲むしろ・伊耳志辺能跡( いにしえのあと )・
   
   学舎事目歌 ( まなびやじもくうた )


    参考 頼杏坪 福山誠之館


手紙 差出頼杏坪(惟柔)  (所蔵先 親戚)




草稿

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